夜のピクニック

誰か夜明けを止めてくれたらな

歳をとりました


またひとつ歳をとった。


ふとその事を思い出す度、なんだかもう後がないような気がして、うっすらと苦しい。


ここに日記をつけるのはほぼ一年ぶり。

一年前の日記を読んで、今の私と似たような思いを抱えていることに、驚く。


「週末に涼くんに会うのだけを楽しみにしている。」

その一文に呆然とした。


当時よりは今の職場に慣れたけれど、先月からミスが続いたり、それ以外にも上司から集中的に責め立てられたりということがあって精神的に参っている。

週末に涼くんに会うのだけが楽しみだということに今も変わりない。

そして、それは将来への不安とも隣り合わせであることにも変わりない。


少し、ぞっとした。


この一年で僅かでも身に付けることができた経験や自信はあるけれど、今のこの感じを続けていても私はだめになってしまうだろう。


転職も考えている。


ああ、でももう29歳なんだね。


実家を出て、今とは違う暮らしができる経済力がほしい。

結婚したいと思っても、現実的には考え難い。


私はどこへ行けばいいんだろう。

涙が出てくる。


今朝の夢は、ほんちゃんとバスに乗って通学路を帰ったり、中高時代の同級生や教室が出てきたり、まっすんが出てきたり、年代と場所が入り混じっていた。

普段、思い出しもしないようなこと。

でも記憶のどこかに残っているようなこと。



仕事でミスばかりする自分に嫌気がさす。

理不尽な上司に怒りを覚えたけど、これだけ出来が悪いと、あれこれ言われたり思われても仕方ないのかな、と自信を失くす。

軽いADHDかな と思う。

見落としや、確認不足というようなことが多い。

なぜ気付けないんだろう。

訓練して治るものかな。

私の努力不足60%

私の能力欠落40%

といったところだろうか。

間違いやすい性格。

すぐに忘れたり、内容や状況に対して充分な配慮ができない。


今日発覚したミスは、事務職員の3月の欠勤控除3時間を見落としていたこと。

先月は、物品の注文番号の確認不足による発注ミス。科研費の書類の不備の見落とし。


科研の出張...備考欄へしっかり記載しないと。


落ち込んでも仕方ないけど、気を付けることでしか改善できないから、よく念頭に置くようにする。


同時に、もっと、楽に働けるような、自分に向いているものがないか必死に考えたりする。

みんなと同じようにはできないんだから、と自分を諦めて、ここから逃げたいような気がする。

でも、それは甘えかもしれない。

努力不足でしかないかも?


どうなんだろう。

怠けて努力不足なのか、それとも病気なのか?

病気だとしても軽い方だろうから、やっぱり甘えだと人は思うかな。


私にぴったりな仕事、居場所、やりがいのようなものが見つかりますように。

公務員なんて到底無理な気がする。


諦めることができれば大分気が楽だけど、やっぱりそれは甘えかな。。


努力ができないことって怠けでしかないのかな。

根本的にその人に合っていないことは、努力することも土台無理なんじゃないかって...

他に苦痛ではないやり方でがんばれることがあって、それを伸ばすような生き方ができたらなぁ。



そういえば今日は、帰りがけ猫おばさんに会って少し話した。

「彼とは続いてるの?」

「まるちゃん懐っこいよ。もう3歳になる?!」

というような内容。

今度、涼くんと会いに来ることを伝えた。

挨拶に来たがってたし。


涼くんのことが好きだな、と思うけどなんでなのかもうよくわからない。

涼くんのこと好きだと思うと、あまり上手くいかないような気がするので、考えない方がいいのかも。

私は、涼くんといるとなぜか楽しい。

涼くんも私のことを好きでいるのはわかるけれど、私とは違う形だと感じる。頻繁に連絡を取らなくても平気みたい。


私は、依存しているのかもしれない。

逆の立場から、自分が相手にされている様子を想像してみる。

そこから相手の気持ちを推測して自分の心に重ねれば、依存の呪縛を解くことができるかな。


日常的な、今の刹那的な悩みとは別に、将来的なことを考えると、

涼くんとの付き合いを私は考え直さなければならないんだろう。

そんなことを思うのは胸が痛い。

涼くんのことは好きだけど、経済力への不安と心から信頼できない不安に押しつぶされてしまうから。






29歳のこの年は、考えながら、動きながら、毎日大切に過ごさないといけない。